上毛電機鉄道編の続きです
旅行日 2014年1月3日
扉が閉まってると思ったら、開閉は押しボタン式ですか…
(ボタン式扉 初乗車でした)
寒さ対策なのでしょうか?
他の乗客の乗り方を見て 勉強しました
扉の開け方がわからず、正直 焦りました
この時は まだまだ 乗り鉄2年目のヒヨッ子でした
高崎駅へ向かいます
高崎駅に到着
上信電鉄の改札口は JRの駅とは対照的に こじんまりしてます
企業ラッピング車ばかりで 少々味気無いのですが
群馬サファリパーク号は見た目がユニーク(ゼブラ)で可愛らしいです
つぶらな瞳がイイ‼
このゼブラ君に乗り、一気に終点の下仁田駅へ
山名駅 ゼブラ車内より撮影
どの駅舎も建築当初の雰囲気を崩さずに 美しく保存されています
他では見たことがない HINO社製造の車両(トラックだけじゃなく、電車も作ってるのね)
下仁田駅に到着です
(自動販売機さえ除けば…) タイムスリップ感にウットリしています
駅前のワイド写真 ものすごく 昭和感 漂ってます
ヤバいです! 好みだ!!!
こちらの駅員さんに 富岡製糸場の聞き込みをし、折り返して 行くことにしました
上州富岡駅で下車
製糸場の世界遺産認定に向けて、とうとう建て直しをするようで 仮駅舎でした
徒歩10分 富岡製糸場に到着です
私が訪ねたのは 認定の半年前
混雑もありませんでした
お陰で 静かにゆったり見学しました
頼みもしないのに ガイドさんに 解説までしていただけました(うれしい!)
富岡製糸場の歴史を買いつまんで…
明治5年、政府が日本の産業近代化と器械製糸工業発展のために設置
フランス人技術者を迎え、世界に向けて、日本の製糸業が確立されました
群馬県 富岡は 養蚕が盛んで 繭の調達に適し、広大な土地と水の確保と住民の同意に恵まれ 又、高崎より燃料の石炭が採れるという好条件だったため、この地に創られました
日本の絹製品は高品質でアジアや世界から認められましたが、
経営不振により民間に払い下げられ、その後、昭和64年まで、115年間 稼働しました
操業停止後も今日まで保存管理がよく、操業当初のまま残されています
建造物内部で目を引くのは、繭玉から生糸を取り出す フランス製の繰糸器 300釜が設置された操糸場です
建物の構造も素晴らしく、トラス構造で柱の無い広い空間が保たれ、採光のための硝子窓が場内を明るく保っていました
床や壁の塗装など、だいぶ修繕の必要な箇所も多く見受けられ、老朽化で立ち入り禁止場所も多く、その辺りは修繕されたのか心配になりましたが、ともあれ
世界遺産認定され、なによりです
一日中 きばって旅をしたので、真っ暗 夜になってしまいました
この路線には ぜひ一度、乗ってみたかったのです
もう暗くて 景色は楽しめませんが…
乗った感想は ローカル感満載でした
*とても揺れる
*一駅区間が長い
*とても飛ばして走行なさる
*近所の臭いが車内に充満(農家か家畜の?)
*クモの巣のあと発見
雰囲気は伝わりましたか?
熊谷駅ホームで 1000系 (元国鉄 101系)を見かけました
この年の3月に廃車になりました 残念です
秩父鉄道さん、いつか明るいうちに ちゃんと乗りに来てあげるからね
帰りの車内で 小学校の時、蚕を教室の後ろで みんなで飼い育て、まゆ玉から
絹糸を取り出した経験を思い出していました
桑の葉をせっせと与え、葉をかじる姿に愛着も芽生えたものでしたが、
まゆ玉を 煮え立った鍋にじゃんじゃんぶっ込む先生を
「蚕 死んじゃうの?」と子供ごころに恨んだりもしたものでしたが
蚕たちが日本の発展に大きく貢献していた事を知り、
勉強した気分になった? 旅でした