撮影日2019.8.20
御多分に洩れず夏休みを3日間取らせて頂きました。
今年は色々と事情もあり 大遠征はせず、安近短でのお出掛けに留めております。身体を休めるようなショートトリップをし、その中に鉄を絡めさせて頂きました。
向かったのは日光方面。
撮影は中禅寺湖周辺から峠越えをし、先週も訪れた わたらせ渓谷鐵道へと またまたやって来ました。
3週連続で行くなんて、また嵌まってしまったの?と、思われるかも知れませんが、とても景色が良く、川のせせらぎ音に癒されるんです。
前記事でも書きましたが、群馬と栃木の県境を通るこの路線。
前回の撮影は群馬方面のみでしたが、今回は栃木方面を中心に撮影しております。
尚、この日は平日なのでトロッコ運転はありません。
先ず 向かったのは 終着の間藤駅から徒歩5〜6分の第一松木川橋梁。此処は渡良瀬川に鉄橋と人道橋(田元橋)が並んで架かっており、間近での撮影が出来ます。因みに、松木川と言うのは、渡良瀬川の旧名だそうです。
▲足尾ー間藤 WTR−521号
▲間藤ー足尾
先程撮影した列車が折り返しやって来ました。
気になる撮影地がもう一箇所。
先週も訪れた沢入(そうり)駅へやって来ました。
先週は土砂降りもありまして難儀したこの地。
今日も雨が降ったり止んだりしております。
先週の撮影地へ再び行ってみると、線路脇にはコスモスが早々と開花しておりました。
▲神戸ー沢入
この上に線路があり、通過列車があれば絡めて撮影したかったのですが、次の列車まであと1時間も来ません。車両の姿が欲しい一枚です。
此処での撮影は諦め、沢入駅の向こう側に橋が架かっておりますので、そちらへ行ってみます。
沢入駅の脇には 渡良瀬川に架かる沢入橋があり、ここからの撮影画像はたくさんSNSに上がる有名な場所です。
▲原向ー沢入 WTR–502号
折角、渡良瀬川沿いに走る路線ですので、一枚は川を入れた撮影をしてみました。
真夏の緑達がモッサリと元気に川沿いを支配しております。この逞しさ、見習いたいですね。
この構図は上り列車のみ叶うので、いつか時間のある時に上りトロッコを撮影してみたいものです。
▲沢入ー原向
すぐ脇にある沢入駅で列車交換がありますので、上り列車撮影後に走って線路の対岸へ行き、下り列車を撮影します。
今度はサイド構図での撮影になります。
下り電車に充てられたのは古豪車両の314号でした。車体全体が紅銅色(あかがねいろ)なのはこの機のみ。追い掛けて撮影してみます。
終着駅の間藤駅へやって来ました。
思惑通り次の出発時刻まで、ホームで40分近く停泊中。
間藤駅に停車中の314号
綺麗なワインと混ざった様な茶色を紅銅色と呼ぶなんて。嘗ては銅で栄えたこの町のイメージにもぴったりで、センスが良いと思いました。
もう一度、田元橋の袂から314号を撮影したいと思います。
先程の撮影地、第一松木川橋梁を渡る姿の撮影。残念ながら、ピント合わせを間違えてしまいました。手前の枝に焦点を合わせてしまった様です。
それにしても立派な橋脚が2本。
この橋脚自体は1888年イギリスでの製造品で、日本鉄道の盛岡ー八戸で使用されていた物を此方へ持ってきたそうです。1914年の足尾線が足尾本山駅まで開業された時に橋は架けられた様です。
それ以前の軽便鉄道時代に使用されていたのが、現在は人道橋であり並行して架かる田元橋と言う訳です。
人道橋にしては立派な橋だと思いました。勿論、この橋、現在 線路は取り払われてあります。
わたらせ渓谷鐵道と足尾銅山。相互に深い歴史関係がありそうです。
〜撮り道メモ〜
廃線跡と廃工場跡
わたらせ渓谷鐵道は現在、間藤駅が終着駅ですが、50年近く前はこの先の足尾本山駅まで貨物線が通っておりました。一部線路は撤去されておりますが、現在も旧路は残されております。
この日は車で来ておりますので、その廃線跡を辿ってみました。
先程撮影した田元橋も旧線路ですが、その先の間藤駅の更に先へ、旧線路を辿って県道260号線を下ってみます。
▼県道に踏み切り跡を見つけました。
▲今では道路を跨ぐ線路は撤去されておりました。
銅の製錬工場方面には有刺鉄線が貼られ、立入る事は出来ません。▼
先のS字カーブを眺め、嘗ては此処をSLが銅を積んだ貨車を連ねて牽引して走ったのでしょう。その姿を想像し、鉄道ファンとしてはロマンを感じずにはいられない心境でした。
山道を進むと、曾ての銅の採掘とその製錬工場が見えて来ました。これが足尾銅山跡地。
確かに周りの山肌は排出された亜硫酸ガスにより禿山になった形跡が今も色濃く見受けられます。現在は植樹により 若く背の低い木々が薄っすらと緑色に山を染め始めておりました。
▲手前の古橋は明治時代に架けられ、平成5年迄使われていたそうです。現在は老朽化し、その役目は隣に架けられた新古河橋へと受け継がれておりますが、その新橋も使われることは少なくなっている様子。
橋の先にはこの廃工場跡(立ち入り禁止)と旧道(かなりのワインディングロード)と旧線路があるだけ。その道もかなり狭く、車での通行は困難。今では新橋も観光客が工場入り口を眺め、立ち入り禁止の札を見て引き返す役目程度のものと推測されます。
この橋を渡ると工場から貨物用線路が桐生方向へと伸びておりました。廃線の先の線路はここの足尾本山駅へと繋がっていたのですね。
歴史を辿ると、この銅山採掘は江戸時代から始まり、公害の広がりと銅山の枯渇化が進む1973迄行われていました。その後も製錬事業は行われていた様ですが、1989年のわたらせ渓谷鐵道の開業に伴い、貨物も廃止になり工場は休止されたそうです。
公害での自然破壊と村の消滅。大繁栄後の代償は大きな物となった様です。
しかし、日本の産業発展の大きな功績の一つになった事は紛れも無い事実。
この銅山を経営していた会社は 今でも日光市に大きな工場があり、鉄道や航空部品、医療機器、等…日本だけでは無く世界の産業を支えている大会社で、何方でも一度はその社名に聞き覚えがある事でしょう。
一度消滅した町も今では住宅街が広がり、足尾駅周辺は大きな町に発展しておりました。
廃墟となった工場跡も一部は撤去された様ですが、今だにその原型を留めているのは、負の遺産と呼ばれつつも暗い鉱毒事件の歴史を薄れさせる事無い様、繰り返さぬ様、未来人への警鐘なのかも知れません。
今回は大人の社会科見学をして来た気分にさせられた ショートトリップになりました。