撮影日2020.11.3
本日もようこそ。いらっしゃいませ。
京都遠征記第4話目です。
撮影地は調子踏切です。
午前中はお天気に恵まれ、絶好の撮影日和。
逆光気味撮影ですが、線路の脇に麦酒工場も見えます。円筒型のタンク?がビールを連想させ
撮ろう!今日はとことん付き合って
今ワタシ気分爽快ですの〜♪
そんな!?だったか?
森高ちゃんの歌が頭をよぎります。
しかしこの曲、何気に失恋ソングなのですよね
胃の調子もあまり宜しくないので、
本日はルービー 止めておきますけど。
さて、撮影していて気がつくのはEF210をよく見かけること。
▲1072レ EF210-308(吹キャラ無し)コンテナ
同じ様なショットになりましたがEF210は今後も増備され、機関車は桃ばかりになる日も近い事を意味しているのでしょうか。
原色のままの物や黄色いラインの300番台、その中でも桃太郎と愉快な仲間たちのイラストがある物と無い物が存在するようですね。
関東では珍しいイラスト入りや白ラインが普通に見られるのです。
黄色いラインのものは新造
白ラインは原色からの塗り替え機?
白桃に桃太郎と愉快な…のイラストは入っていない?
今後、イラストは全ての新造機に入れられる?
そんな見解が頭の中をぐるぐると巡るのでした。
さて、お昼ご飯は折角 京都に来たのですから、何処ぞの京料理店でも。
なんて、私の辞書には今のところ存在致しません。私のいつもの撮影スタイルを難波氏に事前にお願いしておきました。
ですので希望通り、コンビニランチをこの撮影地でサクッと済ませ、午後も撮影三昧の工程です。
午後からは下り列車の撮影です。
憧れの村田製作所のビルをバックに入れて。
▲5087レ EF65-2085(新)コンテナ
素晴らしく大きなカーブです。何枚か連写しましたが、どれも串刺しでした( ̄▽ ̄;)
関西貨物の中では稀少な(のだそうです)EF65が充当されたこの便、難波氏の御友人の皆さまが揃っての撮影になりました。きっとこの後出場する甲種輸送撮影の前哨戦なのでしょう。
列車を待つ間、皆さまとても賑やかで楽しそうにお話しなさっており、気心知れた顔ぶれの中で安心して撮影出来る良い雰囲気なのでしょう。
皆様の日々の努力の賜物なのだと感心仕切りです。
お互いが思いやりを持って譲り合う。
同じ撮影地で偶々 居合わせた者同士、そんな気持ちで接する事が出来れば、トラブルは無くなるのでしょう。
温かでホッコリとした気持ちになれる撮影地。素敵だな、と思うのでした。
▲列車が接近してきたところを撮影地の様子も入れて撮りました。機次位がコンテナ無しなので単機の様に見えちゃいますね(汗)
お顔が入ってしまった方、申し訳ありません。PFと同じ色の四角いマスクでカバーさせて頂きました。
御一緒に撮影で出会われた皆さま
ご親切にありがとうございました。
いつか、またの撮影で出逢われた日には
宜しくお願いします。
〜鉄子の独り言〜
調子の親分さんはイイ調子
私は産まれも育ちも東京の南千住です。
そう、隅田川貨物ターミナルの直ぐ隣。
しかし、江戸っ子では無く下町っ子と言う方がしっくりくるのです。
東京には人との接触を嫌い、個で暮らしていく冷たい都会人のイメージがある と、聞いたことがあります。
しかしながら、土地が狭いこの界隈、特に下町は御近所との距離が近く、拘わりも必然的に濃くなるものです。
若い頃こそ、そんな面倒な地元には興味も湧きませんでしたが、歳を重ね、経験が増えると
今度は自分が御節介を焼く側に回っている事に気が付き、そんな御節介出来る御近所付き合いも有難いと思うようになるのでした。
調子踏切周辺での撮影は記事内にも記載しましたが、目玉の甲種輸送もあってか人が集まり賑やかなものになりました。
列車を待つ間は談笑し過ごしている皆様。
私はただ聞いて笑っておりましたが、撮影歴は大先輩と思しき関西弁オジ様を中心に笑顔が絶えない様子です。これは日常の此処での撮影風景なのでしょう。
そのオジ様が一枚のモノクロ写真を私に差し出されました。
拝見すると、それは鉄橋を渡るSLが客車を牽く様子を撮影されたものでした。
オジ様曰く、撮影されたのはおよそ50年近く前。
撮影場所は保津峡ー嵯峨野(現在は嵯峨嵐山)で、山陰本線の旧線になります。
トンネル入口のレンガにもたれながら撮影したのだとか。
因みに今は立ち入りNGな保線用の犬走りと呼ばれる線路脇に設けられた通路から撮影しているそうです。
この区間は本数が少なく、当時は皆SL列車だったそうで、他の列車も写真と似たり寄ったりな列車が走っていたそうです。
↑(難波氏のオジ様へ聴き込みをして頂いた文面を使用させて頂きました)
写真を手に楽しそうにコテコテの関西弁でお話しされるオジ様。列車通過時には手を伸ばし機関士さんへ挨拶され、列車を見送ったそうです。
今では考えられない撮影スタイル。
保津峡ー嵯峨野間と言えば長いトンネル区間でそこを歩いて抜け、トンネルの淵に一人立ち、撮影されたそうです。
昔のこの辺りの山陰本線は現在の嵯峨野トロッコ鉄道の線路を使用していた事を聞いたことがありますので、今現在のトンネルとは違った線路だったのかも知れません。
そんな武勇伝を聞きながら写真を眺め、大切な写真を譲って下さった親分様。
そんな堂々たる世話焼きが嬉しくて、胸にじぃ〜んと染みるのでした。
貴重な想い出と大切なお写真、ありがとうございました。
また、この写真の掲載をお許し下さり感謝の念に堪えません。宝物にさせて頂きます。
そして、難波氏にもこの記事を作成するに当たり御協力頂きました事、御礼を申し上げます。
そんな素敵な方々が集まる撮影地。
互いに心配し合い助け合う。
関西弁のアットホームな雰囲気も相俟って、
何処か私の育った下町の人情味ある故郷に似ている と感じたのでした
長々と綴ってしまいました。
最後まで御覧頂きありがとうございました。
もう一話続きを書こうと思います。
またお付き合い下さると嬉しく思います。