本日もようこそ。いらっしゃいませ。
今回は鉄道好きの母としての立場で語らせて頂きます。
私はこう見えて、歴とした二児の母である。
ブログですので姿は見えませんでしたね。
息子が二人。早いものでもう30歳手前まで来ております。二人とも自立しております。
私はよく耳にするママ鉄と言うのとも違います。
ママ鉄の定義は幼い子供を持つ母親が鉄道ファンの子の為に鉄道知識を子供と共有し、共に楽しんでいると言うもの。
我が息子達は鉄道を身近に感じて育ちました。小学校へ上がるまでは線路の脇に建つ店の2階で子育てをし、その当時は喜んで窓から電車を眺めておりました。幼い頃には新幹線等も見せに駅に出掛けた事もあります。
息子達が喜ぶので駅へ出かける。
そう、この頃は私もママ鉄だった様です。
しかし私はと言えば、当時は鉄道に興味が無く、身近な東武鉄道でさえ走る車種の名前も知らない有り様でした。
鉄道の活動を始めたのは息子達が成人した辺り。
深夜のN○Kアーカイブ映像で私鉄ローカル線の映像を音楽と共に解説無しでただ流す放送を何ヶ月か放送され、偶然録画に撮ったのを見た事からでした。その映像に映されていたのは、古い列車が景色の良い中を短編成で走り抜ける様子でした。繰り返し見るうちにここへ行き、実際に目で見たくなる衝動に駆られたのでした。
それまではコレと言った趣味もなく、何となくママさんコーラスのグループに属し、上手くならない高音を出していたのでした。
転期が来たのは自分の出す声の音取りが分かり始めた頃です。
当時、上手くは無かったが、思った音程を出せるようになってきたのを感じておりました。
この頃、コーラス練習が終わるとその足で乗り鉄に出掛けておりました。
今思うとこの頃の私鉄乗り鉄は鉄道を知る意味で有意義な物でした。そこには経営状態が芳しくない為、何処からかの鉄道会社から流れてきた旧車が使用されているケースが多く、各鉄道会社はその車両に工夫を凝らし、趣のある物が多く存在しておりました。
▲JR烏山線のキハ40系
▲富山地方鉄道16010形
(写真は全て過去撮影のもの)
そうなると途端にコーラスがつまらなくなり始めました。
週一の休みを全て鉄活動に使うべく、コーラスは辞めてしまいました。
息子達はと言えば、疾うに鉄道趣味は終わり、小学校へ入った頃からロボメカ系趣味に行ってしまいました。変形や合体を楽しみ、フィギュアやガンダム模型で部屋は埋め尽くされ、私の鉄道ポスターやグッズの入り込む隙間は部屋や息子達の心の中に微塵も無くなっていたのです。
大学を卒業し、二人は各々の会社寮へ巣立ち、家の中は途端に寂しい物となりました。
しかしそんな時、鉄道趣味に填まっていた私は線路脇が楽しくて、毎週の様に出掛けては駅撮り撮影と乗り鉄を繰り返し、今に至るのです。
寂しさを鉄道が救ってくれた様に思います。
そんな自由にあり付けるのは家族の理解があってこそ。感謝の念に堪えません。
こんな御時世、長男が半年ほどテレワークになり昨年半ばに実家へ帰って来ました。途端に家の中はパッと華やぎ明るくなりました。
▲今だに模型趣味の息子の部屋
その半年後の今月、嫁を貰い、再びこの家を出て行きました。
短い半年間では有りましたが、この間は子育ての恩返しをしてもらった様に感じており、引っ越し終了時には得も言われぬ寂しさがまた込み上げてきました。
▲引っ越し後の息子の部屋
息子のパンツを主人の箪笥に入れたり、焼き鳥丼ばかり夕飯に出したり…
天然ボケな母だけと、真面目な人に育ってくれて良かった。
嫁を貰う。
嬉しい事ではありますが、反面、もう簡単には帰って来なくなる。
就職で此処を出た時とは違う感覚が襲うのでした。
娘は私にはおりませんが、娘を嫁にやる父親の気持ちと似ているのかも知れません。
家族が増えて嬉しい。
今後、どんどん増えるとより嬉しい。
そう思う事にし、出て行く息子を見送りました。
今回の寂しさもまた鉄道が救ってくれるのだろうか?
いえ。自力で乗り越えて行かなければならない母親の宿命なのでしょう。
お付き合いありがとうございました。