当ブログ読者の皆様、いつもお世話になっております。
又、初めてこのブログへ御訪問された皆様、
ようこそいらっしゃいませ。
私はテイクアウト焼き鳥と弁当店の女将、
えみソラと申します。
コチラのブログでは普段は趣味の鉄道撮影の成果を掲載させて頂いておりますが…
今回は身も心もちぎれる様な辛いお知らせをしなければなりません。
友人であるこだまさん(たくみ人形の主)が11月4日、天国へ旅立ちました。
享年32歳でした。
大切な友人であり鉄友でもあるこだまさんの逝去にあたり、手元にある数枚の画像と思い出、想い、彼女が残した僅かなメッセージ等、追悼の気持ちを込めて綴ってみます。
稚拙な文章と筆者の主観で綴る事をお許しください。
こだまさんは黄色い愛嬌のある虎の縫いぐるみを使い "ぬい撮り" と呼ばれる撮影をし、ツイッターへ画像や動画を掲載する人気ツイッターユーザーでした。フォロワー数はピーク時では2000人前後だった様に記憶しております。
たくみ人形はこだまさんが関東へ上京する以前、育った地の衣料量販店で大量に販売されていたシンプルなトラの人形で、上京時も一緒に生活していた人形でした。
まるでお出掛けしているかの様に動かしたり、景色の中へ縫いぐるみを写り込ませ撮影したりと何の変哲もないトラの縫いぐるみに命を吹き込んでいったのでした。
御遺族様より「フォロワーの皆様へこだまの想いと軌跡を伝えて頂きたい」との申し出があり、当ブログへ記事にする運びとなりました。
▲11/6 私の店頭で最後に撮影したたくみ人形
(手持ち主はこだまさんの姉)
「なんこつ、今日はありますかぁ?」
こだまさんは当店のお客様でした。
人懐っこい笑顔と明るい会話、直ぐに打ち解け常連客となりました。彼女のお気に入りはとり軟骨の焼き鳥で通い詰めて買って頂きました。
焼き上がる間のたわい無い会話が楽しく、直ぐに友達になりました。
私の鉄道好きを知り、彼女も少し鉄道に興味を持って頂いた様子で、店の前に走る東武線で動画撮影をする様になりました。
ある日、縫いぐるみを抱え、鉄道車両に絡めた撮影を始めました。
たくみぬい撮りの始まりでした。
それはツイッターに掲載するとウケが良く、みるみる内にフォロワー数を増やしていきました。
▲たくみツイッターより
(フォロワーであるウルフパックさんより拝借しました)
彼女は以前より病を患っており、ここの所、体調が芳しくない様子でした。
近頃では仕事も辞め、自宅で横になっている時間が増えておりました。訪ねても起き上がるのがやっとの様子。
▲ウルフパックさんのリツイートより
亡くなる4日前のツイートは限界感が感じられます。
最後に彼女と話が出来たのは亡くなる一週間前。知り合いから「彼女と連絡が取れないので心配している」と言う旨のメッセージを頂いた為、自宅に訪ねてみる事にしました。
きっと寂しがっていると思い、他愛のない話でもしよてこようと軽い気持ちで訪ねました。
彼女はなかなか起き上がれなかった様子で暫く待ち、扉を開けて貰えました。
起き抜けの彼女は目が虚で生気が無い様に見えました。ダラダラとどうでも良い話をしながら彼女の頭が冴えるのを待っておりました。
この時、気楽に話をして貰おうと、軽めのお酒を持参しました。
初めて二人で缶チューハイを片手に女子話をし、ちょっとした飲み会の様になりました。
楽しく何気ない話で笑いあったりし、病がとても辛い様子も見せません。
私に心配かけぬ様、装っていたのでしょう。
気持ちが解れたのか、此方に上京してからの苦労話やたくみ縫い撮りを一緒にしていた友人の話もしてくれました。動画はその友人の手を借り、こだまさんが動かし方の指導をしながら撮影していた様です。
この時、こだまさんは今までの自分の人生を振り返り、何でも話してくれました。
彼女は今までの生い立ちについても語り、学生時代に両親と離れ、伯母の家で育った事。
その後看護師になり、勤務中東北の震災で被災し、患者の介護をしながら三日三晩病院の屋上で過ごした事、その後の被災地での体験等が彼女の心の奥深くに大きな櫂が刺さったまま、傷になっている様子でした。
社会に出たばかりの若い彼女に大きな衝撃を与えてしまったのでしょう。
「自分は一度死にかけている。自分は運良く救われた。
この世と繋がった時間の中で思う存分楽しんだ。やりたいと思う事は殆どやって来た。」
この時、彼女が死生観を語っておりました。
それはとても若い子が語る様な言葉では無く、決意の様な物も見え隠れし、此方としては驚きを隠し得ませんでした。
しかし此方が其れをどう否定しても受け入れてはもらえず仕舞いでした。
又、其れを否定する事は、彼女に対して失礼の様にも思えました。
当事者だけが知り得る思いが素直に口に出た瞬間だったのだと思います。
彼女は全ての想いを語ってくれた様に感じました。
ただ話を聞いてあげる事しか出来なかった私。
私にもっとしてあげられた事は無かったのか?
別れがこんなに早く訪れるとは。
今でも悔い、答えが出ないまま。
私だけでは無く周囲の人々は皆、悩むに違いない。
しかし、その苦しみを持ち続ける事は彼女は望まない。彼女は何時でも自分より他人の幸せを率先し、行動出来る人でした。
貴重なツイートを綴ったアカウントは消滅してしまいました。自身で消してしまった様です。
私の手元に残る数枚のたくみぬい撮りをある限り掲載させて頂き、御供養に当てさせて頂き、ご冥福をお祈りしたいと思います。
又、御親族の方より生前のこだまさんへ寄せられました皆様へのご厚情に対し、深く感謝申し上げる旨、お伝え頂きたいとのご意向がありました。
以前、こだまさんとのお出かけ記を掲載した過去記事です。
こだまさんが作成したLINEスタンプが購入出来ます↓
[ハチワレさん(猫さんスタンプ)] https://line.me/S/sticker/15662075/?lang=ja&utm_source=gnsh_stickerDetail
こだまさんの遺言とも取れる言葉があります。
「人生の中でやりたいと思った事は可能な限りやるべき。
折角ある限られた人生。
悔いが残らない様に行動すべき。」
私も同じ様な人生の指針としている言葉の中に「何もせず後悔しない。同じ後悔するなら行動して後悔する」と言うものがあります。
同じ様な意思を持つこだまさんに共感しました。
「私はたくみを通して其れをツイートしてきた。皆様にこの想いを伝えたかった」
たくみフォロワーの皆様には 今後もこだまさんの想いを継いで頂き、心がほっこりと温かくなり、思いやりに溢れる様なツイートを縫いぐるみを通して続けて欲しいと願います。
私も鉄道を通してその意思を継ぎ、伝えて行く所存です。
皆様の中に様々な気持ちがあると思われますが、この記事に関するコメント、返信は差し控えさせて頂きます。
皆様にはこだまさんを偲び、温かい想いで見送って頂けたら幸いです。
たくみ人形は今、こだまさんの御実家へ里帰りしております。皆さんの心の中や私の中にもきっとたくみは生き続けていると信じます。
皆さんが願えば、今後また たくみに会える日が来るかも知れません。
最後に御遺族様よりお知らせが有ります。
こだまさんが飼われていた猫を飼って頂ける方を募集しております。御親族様や私は事情が有り買う事が叶いません。
オス猫で詳しい年齢は分かりませんが、こだまさんの話によると若いと話しておりました。
名前はむぎちゃんです。
こだまさんは「ムーちゃん」と呼び、煮干しをおやつに与えていた事を思い出します。
飼いたいと思われた方はツイッターのDMへお知らせをお願いします。
最後までお読み頂き、感謝申し上げます。
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この記事作成に当たり、ご協力頂きました御親族様、たくみフォロワーであるウルフパック様、感謝申し上げます。
又、御親族様の御意向により故人の名"こだま" は仮名を使わせて頂きました。
新幹線の名前である "こだま" から取りました。
のぞみ号と違い、こだま号は各駅停車の新幹線。
自分の事より他人を優先する彼女。
優しく世話好きな彼女は他人と言えども困った人には声を掛けずには居られない。
マイペースながらも芯の強い大和撫子の様な方でした。
そんなイメージと本名から連想させる言葉に近い物の名から"こだま"と独断で書かせて頂きました。
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