撮影日2020.6.17
本日もようこそ。いらっしゃいませ。
前記事の続きのお話になります。
この日は75レにニーナことEF66-27号機が充当されており、吉川駅で撮影を果たした後、直ぐに車で追い掛け、隅田川貨物ターミナル周辺での撮影を試みておりました。
が、何しろ初めての道のり、カーナビったら首都高へ誘導するではありませんか。
首都高は苦手なんですよねー。
追い越し車線から合流させようとしたり、圧迫感のあるカーブだらけの狭い二車線を物凄いスピード出して皆さんお走りになるし。
車線変更なんて、遠慮してたら出来ないわよ。
不器用ですから!!
そこまでして追い掛ける気も無く、ゆっくりと一般道で向かう事にしました。
やって来ました。隅田川貨物ターミナルです。
▲HD300-4 構内入れ替え用
当然、ターミナルへの入線シーンの撮影に間に合う筈もなく、奥の留置線でニーナ様は休んでおられました。
メトロ日比谷線の南千住駅南口を出ると貨物ターミナルに跨線橋があり、そこの脇から撮影が可能です。あまり良いポジションではありませんが、周囲はガードが固く、他に撮影出来る場所はありません。
▲手前、左側は出場して行くEH200です。
積載はだいぶ降ろされたのやら?かなりのスカ具合でした。
午後はこちら側からですと翳りますね。
光線がよろしくありませんので、知る人ぞ知る撮影地へ移動してみました。
ここが知る人ぞ‥の撮影地。
まともな隙間から撮影するとこの様に信号ポールがお顔を隠してしまいます。
位置を晒し、金網越しですがニーナ様のお顔をメインに撮影です。
金網影と電柱影は防げませんが、此処で佇むニーナ様を撮影出来、満足です。
今回も御訪問頂き、ありがとうございました。
又のお越しをお待ちしております。
〜鉄子の独り言〜
[故郷 隅田川貨物ターミナル]
「其れにしても、ターミナル周辺の景色も変化した物だわ」
隅田川貨物ターミナルは私の元実家の直ぐ脇にあります。幼少期は今の倍程の広大なターミナルでしたが、この近辺は東京都の都市開発が進み、今では半分くらいに縮小されております。
少し前までは秩父セメント?用の大きなタンクが2つ残されておりましたが其れも無くなり、ホームセンターに変わっておりました。
その事から、昔はセメント関係の貨物の取り扱いがあった物と思われます。
削られた地にはショッピングセンターや駅へ続く綺麗な道路が整備され、人口も増え、賑わっている印象を受けます。
幼少期の思い出に残る風景は、監視の目が緩く、町の人が自由に構内を通り抜けられるフリーな駅の印象。今、この中へ一般人が入れるのは貨物フェスティバルくらいでしょうか。
当時、大人からは「ひと気も無く危険な場所なので、通ってはいけない」と注意されるような場所でしたが、気にせず入り込んでおりました。
駅までショートカット出来て便利だったんです。茶色い錆びれたワムが幾つも路肩に並び、緑色のコンテナがメインだった様な気がします。
自転車で構内を走りながら、機関車の脇を通る という何気ない日常でした。
その頃、入れ替え作業に従事していたのはDE10だったのかな。その頃は鉄子じゃなかったので記憶にないんです。
JR常磐線からターミナルへ入線する鉄橋は低くガード壁も無く、機関車の足元が丸見えでした。その下を走る道路は大型トラックの様な車高の高い車は通り抜けられませんでした。
その周辺も今では立派なガード壁が設けられ、撮影には不向きな状態になっておりました。
この近辺で編成を入れて撮影出来るのは、恐らくJR常磐線の南千住駅ホーム突端くらいではないかと思われます。そちらでの撮影経験はありませんので、見通しはわかりませんが。
脇の実家も都市開発地域でして、30年位前に町が消滅し、今では広大な高層マンションと団地群ばかりの地になりました。
その団地に入居していた両親も母が他界した事で引き払い、故郷は無くなってしまいました。
育った町や家が無くなると言うのは寂しいものです。
偶に帰ると、昔の面影を残す風景は数える程になりました。半分に減った貨物ターミナルもその中の貴重な一つです。
その地に私と同世代のニーナが留置されている姿はまさに幼少期の風景を彷彿とさせるもので、感慨深くあるのでした。